すべての今治の歴史は、 海にある?!(後篇)
〜今治タオルと桜井漆器と菊間瓦〜
⼤成経凡(おおなる つねひろ)
ONARU TSUNEHIRO
地域史研究家。今治市波⽅町⽣まれ。今治市・越智郡の中学校で社会科講師を約 1 年半勤めた後、愛媛県・愛媛県教育委員会の⽂化財調査事業などにかかわる。内航船員を1年余り経験し、海運業の経営にもかかわる。NPO 法⼈「能島の⾥」理事。平成 21 年、第 49 回久留島武彦⽂化賞受賞。令和2年、第 35 回愛媛出版⽂化⼤賞受賞。
今治タオルと海事産業はつながっていた!?
前篇では、村上海賊や八木亀三郎氏が海のビジネスマンとして今治の発展に関わってきた歴史を、地域史研究家の大成さんに伺ってきました。
「ところでその海事産業がなければ、今治タオルもここまで発展しなかったかもしれないですね」(大成さん)
ええ?それはどういうことでしょう?
「その八木氏は、海事産業界のリーダーだったんですけれど、一方、今治には、綿織物のリーダーもいたんですね。波止浜財界と、今治の綿織物財界。これが、やがて融合していく。八木氏を今治商業銀行の頭取に据えることで、海事産業で儲けたお金が、そこに還流されるんです。そうやって四国のマンチェスター・今治の経済をまわすんですよ」
四国のマンチェスター?(笑)
「世界で最初に産業革命を起こしたのは、イギリスのマンチェスターですが、日本では、明治の終わりごろに、綿織物の産地に織機が流通して、産業革命が起きていくわけですね。それで、今治は日本有数の綿織物産地なった、ということで、東洋のマンチェスターと言われるんです」
そういうことですか(笑)。海事産業がなければ、タオルもなかったということですか?
「あることはあるんですが、ここまでの繁栄はなかったでしょうね。お互いに切磋琢磨することによって発展したわけです」
桜井漆器から広がった月賦販売
「ところでこの流れで言うと、月賦販売の話をしないといけませんね」
月賦販売!今治が発祥の地だと言われていますが、それと海賊が関係あるのでしょうか?
「正確にいうと、月賦販売を日本で最初に始めたのは今治の商人ではないんですよ。全国に広げたのが今治人なんですね」
と、大成さんは語ります。
「その頃、今治は綿織物で栄えていた。かたや、波止浜を中心とした地域は海事産業で栄えていた。ところが、それに含まれない勢力があったんです。今治の東側にある桜井という地域です。こちらの地域は、江戸後期から九州を向いていたんですよ。何故かというと、かつて紀州徳川の和歌山藩が漆器の製造販売に力を入れていました。そこで桜井の商人たちは、和歌山へ漆器の材料になる木地を船で売りに行き、その帰りに漆器を買って、九州に売りにいったんですね。紀州和歌山は、漆器販路として江戸や大阪には力を入れていたけれど、西国には力を入れてなかったからです。しかも寄港後は、天秤棒担いで行商に出かけています。九州の港で問屋に売れば中間マージンを取れるじゃないですか。『紀州徳川様の漆器を売りにきた』と言えば、訪問先で歓迎されますから」
なるほど。嘘ではないですもんね(笑)。
「それが売れるようになってくると、この地域でも漆器を作って売るようになる。明治時代になると、紀州や輪島の職人を招いて、技術力を上げていきました。今治の職人は売るのがうまかったので、大量に作って売りさばいていった。そしてもっと売りたいと思ったときに、月賦販売の商法を入れるんです」
今治の伝統工芸品として愛される桜井漆器。
「明治39(1906)年ですね。丸善の田坂善四郎が、福岡で始めた漆器の18ヶ月月賦。これが資料上、最初に今治商人が始めた月賦販売なんですね」
皇居にも奉納された菊間の瓦。
「また、この船と関わりの深い産業として、菊間の瓦があります。そうだ。今から菊間の瓦を見に行きません?」
え、今からですか?!
大成さんに案内され、やってきたのは、菊間町の錦松工房。広島城や小倉城などにも鬼瓦を献上している伝統的な工房です。
菊間町の錦松工房の入り口。壁には、大きな鬼瓦の門が。
「この町は鬼瓦の産地なので、節分のお祭りのときは『福は内、鬼も内』っていうんですよ」 と、案内してくださったのは職人の光野錦松さんです。
工房を案内してくださった光野さん(左)と大成さん(右)。
菊間町では、節分大祭のときは鬼瓦が神輿に担がれる。
「菊間瓦は、明治時代に、皇居の御造営瓦のひとつに選ばれたことから全国的に有名になり、『家を建てるときには菊間の瓦を』というブランドになりました。菊間は晴れの日が多く、粘土がよく採れたので、瓦づくりが発展したんですね。この瓦を作るには、他の土とブレンドしないといけないことから、菊間以外の島々の土を船で運びました。また釜焚き燃料の松の薪や松葉、できた商品も船で運んだんです」(大成さん)
伝統的に製作されてきた鬼瓦。
「鬼瓦は、大きなものはお城や寺社に献上しますが、個人の家でも魔除けとして鬼瓦を求める方も多いですね。瓦だけでなく、瓦粘土を使った民芸品や縁起物も作っていて、毎年、年末には干支の置物を製作します。もう50年作っているので虎の置物を作るのも5巡目です(笑)」(光野さん)
干支の虎をつくる光野さん
虎の置物は邪気を払う縁起物。
「いまでも、他の地域から来た方に近代和風建築なんかを見せると「瓦が綺麗ですね」とよく言われるんですよ。職人さんがはけやへらでしっかり磨いて作っているものはとても綺麗で。私の実家も菊間の瓦なんですが、学生のときなんか他所に行って帰省してきたとき、冬の月明かりでこの瓦が輝いて見えました。それまでは意識してなかったんですが、「なにこれ!」ってびっくりしましたね」(大成さん)
いいお話。しかし、今治の海から、ここまで話が広がるとは…海ってすごいんですねえ。
「そういえば、一番大事な、海の魚について話してなかったですね。今治の魚は、潮流が関係していて…」
おっと。ではその話は、また次回にしましょうか! たくさんのお話、ありがとうございました。